精魂尽きるまで描いた後、
絵描き仲間と一緒に歌舞伎座近くのお店で一杯やるのがまた楽しみ。
宴は6時過ぎには終わって有楽町の駅に向かい
またひと月、荒波を超えて会いましょうと分かれていく。
そんな歌舞伎座から日比谷へ向かう道が
今日の朝日新聞土曜版beで紹介されていました。
戦前の名監督・山中貞夫監督の「人情紙風船」「河内山宗俊」などでダブル主演を務めている
中村翫右衛門、河原崎長十郎が
歌舞伎座を脱退して前進座を立ち上げる際に
ちょうど昨日も歩いたあの道を歩きながら相談した、らしい。
1929年、歌舞伎界の閉塞を感じていた中村翫右衛門は
興行の在り方から、若手の不満などを掲載した「劇戦」と言う機関紙を発行して
敢え無く師匠に破門にされてしまう。
破門にされた夜、歌舞伎座近くで河原崎長十郎と待ち合わせ
日比谷へ向かい、堀端をぐるぐる回りながら今後のことを話し合ったらしい。
その後二人は前進座を立ち上げ映像の世界へと進んでいきます。
戦前銀幕でのお二人の活躍は目覚ましいもので
随分と映像を集めてあります。

今回記事になった元の本、「劇団50年 わたしの前進座史」も手元にあります。

あの道を
二人も歩いて
未来を話し合っていたのか、と思うと
不思議なめぐりあわせを感じます。